大怪我御殿! N/W

Data snow − その雪は積もらない −

Soegi

プロローグ

我々が進み得る、そう遠くない未来、もしくは未来の別のひとつの形……。

人類は情報の利便性を第一に追求していった。その執念は有用かつ危険極まりないものを生み出した。

「データスノー」− 情報雪 −

人間の脳に超小型電極を埋め込み、何日かに一度、国営施設「散布塔」からデータスノーを散布する。すると、電極に内蔵された受信装置がこれを受信し、様々な情報を脳内で処理、演算することが出来るようになるのである。この技術は瞬く間に普及し、今や、装置を付けて無い人間は1%に満たなかった。

しかし、同時に人間は常にネットの海に漂うこととなり、ハッカーなどによって自分の脳内を操作される事件が多発した。

こういった事件を捜査すべく設立された、警視庁公安警備部特別情報課、通称「警備特課」。

この事件は警備特課に入って間もない主人公が遭遇した最初の事件である。

その日は、データスノー散布日だった。

「またですか。酷いですね。マスクの中まで臭ってきそうですよ」

「今月で二件目ですよ、勘弁してほしいです。顔の損傷が特に激しいんですよ」

防塵マスクの中の顔をしかめながら被害者の様子を鑑識に訊いているのは、宇津井冬輔(うついとうすけ)。この春、生活安全部情報課から異動になったばかりの新米である。

「またテクノ・エッジ社の役員ですか」

「持っていた名刺からすると常務のようですね。正確な身元確認はもう少しかかりそうですけど。なんせ、ほら……」

地域の住民の情報漏えい阻止などの情報関連のトラブルを扱っていた彼にとって、他人の情報改変、情報操作等の重犯罪を扱う警備特課は憧れだった。大した功績もない彼がどうして配属されたのかは謎だが、貰えるのなら貰っとけというような考えの持ち主だったので、深くは考えなかった。

「やはり、『嘲笑者』ですか?」

「ご覧のとおりですよ」

鑑識は防塵マスク越しに答える。

周りの人間も皆、防塵マスクをつけている。

データスノーの便利さを手に入れた人類は同時に多大な不便を抱えることになった。データスノーは散布して、空気中に定着し化学反応を起こさないと、人体に有害な物質となる。データスノーが定着するまでに丸一日はかかるため、一週に一度の散布日、そして散布後一日は防塵マスクをつけて外出しなければならない。

冬輔を含め捜査員、鑑識がマスクをつけているのはそのためだった。

「じゃ、とりあえず報告に戻ります」

「お疲れ様です」

冬輔は、自分の耳の後ろにある演算装置のコネクタにデータメモリを指すと被害者の状況をインプットさせた。

冬輔は警備特課にアクセスするため、こめかみに手をあて、一言二言話すと車に乗り込み、発車した。

白いデータスノーがしんしんと降り注いでいる。その哀れな被害者、年の頃五十歳ぐらいの男は頭部がひどく焼け爛れていた。その焦げ跡は一つの文字を表していた。 「idiot」と。

「ただいま戻りました」

「ご苦労。それで?」

警備特課課長の堀川が椅子に深く腰掛けながら冬輔に状況説明を促す。

冬輔は堀川にデータメモリを渡した。堀川はメモリを目の前の3Dディスプレイのコネクタに挿入する。すると、冬輔の視点の現場の状況が浮かび上がってきた。

「被害者は持っていた名刺及び免許証によると、三木谷武雄、五十三歳。データスノー受信演算装置開発企業テクノ・エッジ社の常務です。死亡推定時刻は『データスノー散布開始後三十分くらいに被害者が突然家からとび出してきて倒れた』という目撃者の証言から午後十二時三十分ごろだと思われます。現場は自宅近くの路地。玄関が開けっ放しだったので、パニックに陥って、外に飛び出した後に死亡した模様です」

「で、死因は?」

「はい。脳内部の受信演算装置がショートした事による頭部の損傷です」

「やはり、奴か」

堀川はディスプレイを見ながら、苦々しげに顔をしかめる。

「はい。おそらく『嘲笑者』かと。今回は『idiot』と書かれていました」

「テクノ・エッジ社役員ばかり四人か……」

「何かあるのでしょうか?」

「無いわけはないだろうな。明日から引き続きテクノ・エッジ社をあたれ。それと、今度はライバル企業のサイバー・アダム社をあたってみろ」

「了解しました。それでは失礼します」

「ご苦労」

愛車のミニに乗りながら、冬輔は考える。

「『嘲笑者』か……」

そう呟いて、車内のディスプレイから延びたケーブルを自分の耳の後ろのコネクタに接続する。過去の事件のデータが冬輔の頭の中にダウンロードされ、同時にディスプレイに画像が表示される。冬輔は先ほどの被害者のデータを同期させた。

ここ三月で、テクノ・エッジ社役員ばかりが四人、いずれも同じ死因で死亡している。

テクノ・エッジ社はデータスノー受信演算装置の開発に初めて成功した企業で、開発後しばらくはデータスノー市場を独占してきた。

しかし、ここ数年で他企業の参入が一気に広がり、競争に勝てず、経営不振に陥っていた。

そのテクノ・エッジ社の営業部部長、社長、専務と続き、今回の常務。それぞれ「fool」「stupid」「jerk」そして「idiot」と嘲りの言葉が頭部に焼き付けられていた。

操作の便宜上つけられた犯人名が「嘲笑者」。

事件当初、テクノ・エッジ社は自社製品の故障による事故とし、原因解明に急いだが、製品に不都合は見つからない。死亡した自社の役員の受信演算装置を調べようにも、焼け焦げていて調べようがない。それに装置のセキュリティを破って直接ショートさせるプログラムを侵入させたという可能性が一番高かった。

テクノ・エッジ社はユーザーのパニックを避けるため、この事実を一切非公開とし、警備特課に捜査を依頼したというわけである。

データスノー開発以降、様々なハッカーが犯罪を犯したが、情報を盗み見たり、情報を改変するくらいだった。今回のような装置そのものに誤作動を起こさせ死に至らしめるような悪質な事件は初めてだった。

冬輔は、車を止めるとマスクをつけ、自宅であるアパートに入るとマスクを外した。

「お帰り」

誰もいないはずの居間から声がした。同時にスリッパをパタパタ鳴らしながら見知った姿が現れる。

「おう、ただいま……って、なんでお前がいるんだ?」

「煮物、作りすぎちゃって。それに、部屋散らかってたし」

「お前、今日スノー散布日だぞ。散布日に出歩くの嫌がってなかったっけ?汚れる、とか言って」

「いいじゃない、別に」

そう言って掃除機片手に答えたのは穂之川翠(ほのかわすい)。腐れ縁と言ってはなんだが、冬輔の幼なじみにあたる。

「ご飯食べるでしょ?」

「お、おう。ありがとな」

翠が当たり前のように夕食を準備し始める。

冬輔には両親がいない。物心つく前に父親は蒸発し、母が女手一つで育ててきた。その母も苦労がたたったのか冬輔が中学の時に病気で死んだ。

母ひとりで、苦労しているときにいろいろ世話を焼いてくれたのが隣の穂之川家だった。特に、母が死んで一人になってからは実の息子のように扱ってくれた。

しかし、その穂之川家の大黒柱たる翠の父はもういない。彼も病気で五年前に他界している。

「お母さん、元気か?」

「うん。たまには顔見せろってさ」

冬輔はテーブルの上の煮物をつまみ食いしながら訊ねた。

「もうちょっとこまめに部屋片付けなさいよ。全くあたしがいないとダメなんだから」

「ものすごくベタな幼なじみ的忠告、ありがとう」

「どういたしまして」

菜箸で冬輔の手を叩きながら翠が笑う。

思えば、何年の縁になるだろう。冬輔は思う。父が蒸発して母と一緒にこの町に来てからだから、二十年弱の付き合いになる。長すぎるくらいだな、と冬輔は苦笑した。

「はい、どうぞ。なに笑ってんの?気持ち悪い」

居間の食卓には、男の一人暮らしでは到底味わえないような家庭的な料理が並んでいる。

「いや、何でもない。お前は食べないのか?」

「あたしは食べてきたもん」

「そうか。じゃあ、いただきます」

「はい、めしあがれ」

こうやって、翠はちょくちょく冬輔の家にやってくる。警察に入ってから穂之川家の隣から引っ越したのだが、冬輔に合鍵を作らせ、頻繁にやってくる。

合鍵の件は翠の母親が男の一人暮しは掃除もろくにできないだろうと、冬輔に無理に承諾させたのだが、別の思惑があるような気がしてならない。まぁ、悪い気はしないが。

「ごちそうさま」

「お粗末さま……ではないわね。ほんとに御馳走だもの」

「大した自信だな」

「じゃあ、美味しくなかった?」

「美味しかったです」

男の一人暮らしにはもったいないほどの御馳走だった。

「送ってくよ」

冬輔が防塵マスクと上着を取って立ち上がる。

「ありがと」

翠もマスクと上着を取って立ち上がった。

二人は外へ出ると傘を広げ、冬輔の車のある駐車場へ歩き始めた。

翌日の昼下がり、冬輔はサイバー・アダム社の前にいた。午前中に訪れたテクノ・エッジ社は、役員の相次ぐ死亡のためパニック状態だった。装置を手術で取り出した社員もいたらしい。もう少したってからでないと落ち着いて捜査も出来なそうだった。

サイバー・アダム社は、ここ数年でデータスノー市場に参入してきた新鋭の企業だ。しかし、他社を圧倒する性能と企業戦略で事実上業界一位のデータスノー受信演算装置開発企業であるといえる。

冬輔は客間で社長である国木田 肇(くにきだ はじめ)を待っていた。周りを見渡すと、下品な成金趣味の調度品でいっぱいである。社長の趣味だろうか。

しばらくすると、ドアがノックされ、二人の男が入ってきた。

「これはこれは。ようこそおいでくださいました。それで、警察の方が何の用です?」

「ええ、少し訊きたいことが。えぇと、国木田社長で?」

胡散臭い愛想笑いをして口を開いた細身の男に冬輔は訊ねた。

「あ、申し遅れました。わたくし専務の姥山と申します。こちらが社長の国木田でございます」

「社長の国木田です。何分忙しいものでして、さっさと済ませていただけますかな?」

恰幅のいい方の男が少しだけ不機嫌そうに答えて座った。

「そうですか。わかりました。それでは要点からお訊きします。社長、あなたは、ライバル会社であるテクノ・エッジ社の役員が相次いで死亡していることを知っていますか?」

「ほう、初耳ですな。そんなことが。しかし、テクノ・エッジ社はライバル会社すらありませんよ。わが社はさらにその上を進んでいるのです」

国木田が誇らしげにのたまう。

「そうですか」

冬輔は気のない返事をしつつ、社長の様子を観察する。

「テクノ・エッジの役員に誰か知っている人はいませんか?」

「そりゃ、ライバルとまではいかなくとも商売敵に違いはありませんからな。何人かは知っていますよ。ところで何が原因で死んだんです?大方、自分の会社の製品の欠陥とかでしょう。その点、わが社の製品は……」

「しゃ、社長、CDM社から常務がいらっしゃったそうです」

「おお、そうか」

通信機器のある、こめかみに手をあて、専務の姥山が社長の講釈をさえぎる。

「では、刑事さんそろそろ失礼しますよ」

「ええ、ありがとうございました」

そう言って二人は出て行った。

しばらくして、マスクをつけた冬輔が会社から出てきた。こめかみに手をあて、課長のアドレスにアクセスする。

「課長、今から報告に戻ります」

「了解。いい報告を待っているぞ」

冬輔は車に乗り込んでマスクを外した。そして車を出す。

「あの言動……なんであんな自信ありげなんだ?」

冬輔はさっきの社長の様子を反芻する。最初の直球な質問にほんの少しだけ動揺が混じっていた。人の死という非日常的な単語に動揺したのか、それとも……。そして、自信ありげな態度には何か理由があるのだろうか。巨大なバックとか。

「どちらにしても怪しいな……」

「課長、ただいま戻りました」

「どうだった?」

堀川が煙草の煙をくゆらせながら、訊ねた。

「怪しいですね、事件のことを話したら、少なからず動揺したようでした」

「物的証拠は?」

「まだですが、追々上がりそうです」

「よし、じゃあ、まだ現場に何かあるかもしれん。聞き込みを続けろ」

「はい」

堀川はゆっくりと紫煙を吐き出すと、灰皿に煙草を押し付けた。

冬輔は二日ほど、現場周辺及びテクノ・エッジ社内部の聞き込みを続けていた。しかし、被害者の周りの人間は被害者の様子に変わりはなかったと口をそろえて言っていた。

ただ一人、社長を除いて。

テクノ・エッジ社社長である角川 治(かどかわ おさむ)は死亡する一月くらい前からひどく怯えた様子だったという。そして、最初の被害者である営業部部長が死亡してからというもの、自宅の自分の部屋からも出てこなくなったらしい。家族の話によると、部屋でしきりに誰かにアクセスし、謝罪と懇願するような内容の言動を繰り返していたという。

営業部部長が死亡して一週間後に角川は死亡した。

冬輔が聞き込みを始めて三日目のことだった。堀川から緊急アクセスが入る。

「宇津井、すぐ戻れ、緊急事態だ」

「何かあったんですか?」

「話はあとだ、急げ」

特課に帰ると、堀川は黙って冬輔にデータメモリを渡した。冬輔は急いでそれをコネクタに挿入する。それは堀川の通話記録だった。

「はい、警備特課」

「あ、警備特課の方ですか!社長が、社長が……!」

専務の姥山の声だった。

「落ち着いて。どうしたんです?」

「自殺してるんです!どうしていいやら……」

「わかりました。すぐに係りの者を向かわせます」

「お、お願いします」

冬輔は、データメモリを抜き取ると課長に詰め寄る。

「どういうことですか!」

「こういうことだ」

堀川は別のメモリを3Dディスプレイに挿入した。

すると、つい先日話したばかりの国木田社長が無残な姿で社長室に転がっている様子が映し出された。

国木田は銃でこめかみを打ち抜いていた。威力の高い銃を用いたらしく、頭部の原形はとどめていない。当然、データスノー受信演算装置も。

「……なぜ自殺だとわかるんです?」

冬輔が無残な骸に顔をしかめながら尋ねると、堀川が重々しく答えた。

「一連のテクノ・エッジ社役員殺害の犯人だったからだ」

「なぜわかるんです?」

「遺書と犯行に使われたプログラムのバックアップが発見された。国木田単独の犯行だったらしい。恐るべきハッキングスキルの持ち主だった。商売敵が減らしたかったんだろうな」

「どうして俺に行かせてくれなかったんですか!」

「たまたま手の空いている者がいたからだ。不服か?」

堀川が凄んだ目でにらむ。

「とにかく、この事件は解決した。現場検証も他の者にやらせる。お前、明日は非番だろう。ゆっくり休め」

「ですが……!」

「質問は無しだ」

「……了解」

冬輔は拳を握り締めた。

次の日、冬輔は部屋にこもって自分の捜査データをもう一度見直していた。なにか引っかかる。第一、自殺するような人間があんな自信ありげな態度をとるものだろうか。それにわざわざ、あんな威力の強い銃を使わなくても死ねるはずだ。装置まで粉々だった。

それに、過去に例のないほどの高い技術を伴った情報犯罪だ。いくらデータスノー受信演算装置開発企業の社長だからといってあそこまでの犯罪が可能なのだろうか。

そうやって寝間着姿のまま、一人で黙々と考えていると、翠がやってきた。

「おじゃましまーす……って部屋閉め切って何してんの?」

「……考え事」

「なんか暗いなぁ!ねぇ、ご飯食べ行こうよ、ご飯。今度新しいイタリアンレストランが出来たんだって。絶対美味しいって!」

「イタリアンレストランか……。ずいぶん高評価だけど行ったことあるのか?」

「これに載ってたのよ」

そう言って翠は一冊の雑誌を取りだした。総合情報誌らしかった。

「結構人気らしいのよね、この店。表紙にだってこんなにデカデカと見出し出てるし」

「ふーん。ん?翠、ちょっとその雑誌見せてみろよ」

「え、いいけど」

雑誌の表紙には笑顔の姥山の顔と共に次のような見出しが載っていた。

『社長に聞け! 今回は社長になったばかりの サイバー・アダム社 姥山 雄三社長』

「姥山社長……か。ん?待てよ……なんで姥山は自殺だってわかったんだ?どうして『死んでいる』じゃなく『自殺している』って言ったんだ?そもそも第一発見者は姥山らしいし……」

「ねぇ、冬輔。早く行こうよ。すぐ満員になっちゃうってよ?その店」

「翠、悪い。そのイタリアン、また今度でいいか?」

冬輔は翠の目の前で大急ぎで着替え始めた。

「え〜、今度っていつ〜?」

「悪い!」

「あ、冬輔!」

あっという間に冬輔は愛車のミニに乗り込み、エンジンをかけて発車していた。

「全く……」

翠は苦笑いを浮かべ、冬輔が脱ぎ散らかした服を片づけ始めた。

しばらくのち、冬輔はサイバー・アダム社の前に立っていた。受付に警察手帳を見せると、返事も待たずに最上階の社長室へ向かった。

そして、社長室の前まで来たとき、人の話し声が聞こえたので、冬輔はドアに耳を当て、息をひそめた。

「ええ、ええ、はい、全て滞りなく。はい。お礼は後ほど。はい」

姥山の声だ。

「はい、ええ。証拠は全てあなたの指示通りに処分しましたよ。国木田は完全に自殺になるよう装いました。演算装置のショートの痕跡が残らないように威力の高い銃が必要だったんですが、警察にお勤めのあなただ。難なく手に入れられたでしょうな。あの男、あなたのところの若造がうちの会社にやってきたとき、口を滑らせなければもう少しうまい汁を吸えたのに。馬鹿な奴ですよ。まぁ、結果的に私が社長になるのが早まったのですがね」

「 “警察にお勤めの “……。どういうことだ?」

冬輔がつぶやく。

「はい、はい、それではまた改めて。全てあなたのおかげですよ、堀川さん。それでは」

姥山がアクセスを切った。ドアの外で冬輔は狼狽していた。

「堀川課長が……黒幕……。『嘲笑者』だったのか……」

「誰かそこにいるんですか?」

その声が言い終わらないうちに、パシュ、と乾いた音がして冬輔の左腕に激痛が走った。

「ぐっ!」

続いてドアが勢いよく開き、冬輔は廊下に転がった。

顔を上げるとそこには薄ら笑いを浮かべ、勝ち誇った様子で消音機付きの拳銃を構えた姥山が立っていた。

「これはこれは、刑事さん。わが社に何の用ですかな?」

「今の会話はすべて聞いた。お前を逮捕する!」

腕を押さえながら冬輔が答える。

「ほう、それはご苦労様です。で、これから殺される人間が腕一本でどうやって私を逮捕するというんです?」

じりじりと姥山が迫ってくる。冬輔は周りを見渡し、あるものに気がついた。姥山は引き金を引き絞る。と、同時に、

「人間には足もあるだろう?」

そう言って冬輔は勢いよく足を振り上げた。靴が足から離れ、宙を舞う。天井のスプリンクラーめがけて。

靴がスプリンクラーにぶち当たり、衝撃に反応したそれは、勢いよく消火剤を噴霧する。

「なっ!」

真下にいた姥山はまともに消火剤を浴びてしまう。姥山のこめかみ上部、データスノー演算装置の小さな換雪口に消火剤が入る。

「ぐっ……ぐあぁ……くそ……」

換雪口に粒子状の異物が入ると猛烈な頭痛に襲われる。姥山はその症状に陥っていた。

「くっ、若造!」

姥山が痛む頭を押さえながら銃を発射する。しかし、もうもうと消火剤が立ち込め、なかなか当たらない。

「喰らえ!」

冬輔は、血の滴る左手でしっかりとこめかみ上部の換雪口を押さえ、残った右手で、銃を持った姥山の腕めがけ、自分の銃をぶっ放した。

「ぎゃああああ……!」

その銃弾は見事に姥山の右手を貫き、銃を弾き飛ばした。激痛に耐えかね、姥山は昏倒した。

警備特課課長の堀川は、煙草をくゆらせつつ、だれかと連絡を取っていた。そこに、来るはずのない人物が現れた。腕を包帯で巻き、首から吊った冬輔だった。

「お前、今日は非番だろう?何やってるんだ?腕をどうした?」

「質問の答えの前に、課長に会ってほしい人がいるんですが」

怪訝な顔で堀川は促す。

「ん?いいだろう、誰だ?」

「こいつです」

冬輔は、手錠をされ、冬輔と同じく手を包帯で巻いた姥山を堀川の目の前に突き出した。

「姥山!」

堀川が驚愕の声を上げる。と同時に、制服姿の警官たちが特課になだれ込んできた。冬輔は堀川に詰め寄る。

「姥山からすべて話は聞きました。堀川課長、あんたは違法製造見逃しなどの便宜を図るかわりに、テクノ・エッジ社から賄賂を受け取っていた。そして、経営不振に陥ったテクノ・エッジ社から今や業界最大手のサイバー・アダム社に乗り換え、口封じのためにテクノ・エッジ社の社長を殺した。他の役員はただ単にサイバー・アダム社が有利になる殺人だったんだろう。社長が謝罪と懇願する内容のアクセスをしていたのはあんただったんだ。サイバー・アダム社の社長の国木田もあんたの意向にそぐわないから殺したんだろう。姥山の方が自由に使えるから。それに、国木田をこの一連の事件の犯人に仕立て上げることもできた」

冬輔がたたみかける。

「つまり、堀川課長、あんたがこの事件の黒幕、『嘲笑者』だ!」

制服姿の警官が堀川を机に押さえつけた。彼らは素早く手錠をかける。

「姥山、しくじったな!この役立たずが!」

苦々しげに毒づく。

「私だけ監獄なんてフェアじゃないでしょう。私はあんたの命じられるままにやったんだそれをこんな……」

憔悴しきった顔で姥山がつぶやく。堀川が冬輔の方に向き直った。

「宇津井、私には警察としてこの事件を捜査するポーズが必要だった。だから新米の役立たずなお前を特課に呼び寄せ、任命したんだ。まさかここまでやるとはな。だが、ひとつだけ違うよ」

堀川は諦めきった顔で言った。

「『嘲笑者』は俺じゃない。もう……終わりだ……」

そう言った途端、姥山が苦しみ始める。

「ぎゃあああああぁぁぁぁ!いやだ!死にたくないぃぃ……!」

姥山は喚きながらのたうちまわった。

「ぐっ!がは……あぁぁ……」

同時に堀川が冬輔の目の前で苦しみだした。こめかみ付近から煙が上がる。

「なっ!まさか!」

急いで、机の上の3Dディスプレイのケーブルを堀川につなげる。そこには倉庫が映っていた。窓の外にはデータスノーの散布塔が見える。とたんにノイズが入り、画像は消滅した。

「そんな……」

冬輔の目の前にあったものは、頭部の焼け焦げた堀川と姥山の死体だった。その焼け焦げはこう書かれていた。「a good-for-nothing」=「役立たず」と。

しばらくのち、マスクをした冬輔はデータスノー散布塔近くの廃倉庫の前にいた。あたりはすっかり暗くなっている。今日は夕方からデータスノー散布日が行われていた。周りにはマスクをした警官隊が待機している。

「我々も同行します!その怪我では!」

「いや、俺一人でいい。行かせてくれ。刑事になって初めての事件くらい自分でケジメをつけたいんだ……。それに、下手に犠牲が出るとまずい。相手はおそらく単独犯だ。一人で大丈夫だよ」

「しかし……」

「頼む。何かあったら必ず連絡するから」

「……了解しました。でも、何かあったらアクセスではなく、これで連絡をしてください」

そういって、警官隊の隊長が無線を手渡す。冬輔は換雪口に防壁カバーをし、完全にオフラインになっていた。

「ありがとう」

冬輔は倉庫内へ入って行った。

奥へ進むと、そこには小さな部屋があり、おびただしい量のケーブルがのびていた。

「開いてるよ。入ったら?」

若々しい感じの声がして、ドアが開く。そこいたのは、あらゆるところにケーブルが張り巡らされ、その中心でマスクをしながらディスプレイを見つめるまだ少年といっても通じる年格好の男だった。冬輔は静かに問う。

「お前が堀川と姥山、そして、テクノ・エッジ社役員、サイバー・アダム社社長を殺したのか?」

「そうだよ」

まったく悪びれた様子もなくその男は答える。

「お前が『嘲笑者』なんだな。逮捕する」

「『嘲笑者』?ああ、堀川が言ってた僕の名前か」

「なぜ殺したんだ?」

「堀川に頼まれたんだよ。一番確実な邪魔者の消し方だからって」

「じゃあ、なんで堀川を殺したんだ?」

「飽きたから」

「飽きた?」

「だって、あいつもうゲームに負けただろ。つまんないじゃん」

「ゲームだと……?」

冬輔はあとずさった。狂気に取りつかれたこの男の姿を見て……。

「ところで、これ何だかわかるかい?」

そういって『嘲笑者』は手に持った試験管を振った。中にはなにやら青い粉末が入っている。

「ショートウィルスの媒体さ」

「な、なんだと!」

「役員たちを殺したときは特定アドレスに直接プログラムを送ったけど、これが換雪口に入れば、誰でも、あれと同じ状態になるわけさ。ちなみにスペルは「Game Over」だったかな。」

「それをこっちによこすんだ!」

「これをこれから散布塔にハッキングして散布しようというわけさ」

「やめろ!」

冬輔は銃を突き付ける。

「無駄だよ。もう準備はしてある。あとは起動するだけ。ちなみに僕が死んでも起動するようにセットしてある。起動後10分で散布されるシナリオさ」

「くっ……」

「試してみるかい?君は防壁カバーを付けているんだろう?そこで見ているといい。もう僕は生きるのに飽きた……」

そう言って『嘲笑者』は持っていた試験管を床に叩きつけた。

「やめろぉぉ!」

青い粉末が飛び散る。途端に『嘲笑者』が頭を押さえ苦しみだした。

「ぐっ……が……さ、最後に一つだけ……お、教えてやろう……。なぜ、僕が役員どもの頭にメ、メッセージを残したか……わ、わかるかい?」

「お前……」

「わ、笑ってたのさ!馬鹿どもを!僕は……ぐ、愚民どもを……ば、馬鹿にして、嘲笑ってたんだよ!あっはははは……ははは……あぐ……か……」

冬輔は最期の言葉を聞いていなかった。次の瞬間には外に向かって駆け出していた。倉庫を出ると警官隊が何事かと駆け寄る。

「どうしたんですか?」

「みんな換雪口に防壁カバーをつけろ!早く!それと、カバーをつけないで倉庫内には絶対に入るなよ!死ぬぞ!」

それだけ言い残すと冬輔はミニに乗り、データスノー散布塔へ向かった。

あと8分。

「くそ……」

車内で、冬輔が今まで出会った人たち、そして翠の顔が頭に浮かぶ。冬輔はアクセルを踏む足にさらに力を込めた。

あと3分。

散布塔につくと年配の守衛が正門に立っていた。

「どうかしたんですか?」

「すまん!通してくれ!」

「一般人は立ち入り禁止ですよ!」

守衛が冬輔の腕をつかむ。

「警察だ!通してもらおう!」

冬輔は銃を抜き、空に向かってぶっ放す。ひるんだ守衛の顔に警察手帳を投げつけた。

「制御室にさえ行けば……!」

エレベーターでは遅い。最上階の制御室に向かって冬輔は外階段を駆け上る。

あと2分。

散布塔の起動音が間近で聞こえる。

「間に合え!間に合ってくれ!」

マスク越しに息をするのが辛い。冬輔は痛む腕にかまわず手すりにしがみつくように階段を上った。

あと1分。

しんしんと白くデータスノーが降り注ぐ。カンカンと冬輔が階段を上る音だけが聞こえる。いつの間にか耳に痛いほどだった散布塔の起動音が止まっている。代わりにあるのは不気味な静寂。

その時、散布塔内部から先ほどとは違う起動音が聞こえた。その瞬間……。

ゴォォォォオオオオオ!

「うわぁああああああー!」

轟音とともに青い噴煙が散布塔から撒き散らされる。冬輔は膝をついて絶叫した……。

冬輔は絶望のうちに人々の断末魔が聞こえるのを待ったが十秒が過ぎ、一分が過ぎ、五分が過ぎた。散布塔の下にいる守衛にも変わった様子は見られない。

「まさか……」

冬輔は恐る恐る防壁カバーを外し、換雪口を開けた。

「死なない……」

いつも通りだ。普通にネットにアクセスもできる。

「どういうことだ?」

しんしんとデータスノーが降り注ぐ。散布された、ウィルスでも何でもない単なる青い粉末の付着作用により淡いコバルトブルーの雪となって。

窓から散布塔の見える倉庫の一室。そこには「Game Over」と書かれた焼け焦げの『嘲笑者』の死体と彼のディスプレイだけが残っていた。

そのディスプレイが一つの言葉を表示する。

「April fool 」(四月馬鹿)と。

四月一日、この事件はその幕を閉じた。

エピローグ

それから何日かたって、冬輔は翠と街を歩いていた。

「イタリアン、イタリアンっと」

マスクをつけた翠が変な歌を歌っている。

「そんなにはしゃぐなよ」

冬輔は苦笑いを浮かべて翠をたしなめた。

あの日帰宅した後、冬輔の腕の怪我を見た翠にこっぴどく叱られたうえ、無茶をするなと泣かれてしまった。

そのお詫びと言っちゃなんだが、今日は食事を奢る羽目になっってしまった。

「全く。しかし、この腕でどうやって飯食おうかな」

「あたしが食べさせてあげよっか?」

「なんでそんなバカップルみたいな真似……」

「照れてんの?」

「んな訳無いだろう!」

警備特課は即日解体。冬輔も近々、古巣の生活安全情報部に戻されるらしい。スキャンダルとして扱われるのを避けた警察は事件を無かったこととし、表向きはデータスノー受信演算装置の欠陥として処理。したがって、冬輔の事件解決の功績は事件とともに抹消された。憧れだった刑事に戻るのはもうしばらく保留になりそうだ。テクノ・エッジ社、サイバー・アダム社は、明るみに出た贈賄の件で今後散々叩かれるであろう。

『嘲笑者』の件についてはまだ極秘だ。犯人が死んだからと言って、事件が事件だ。どんなパニックになるか分からない。

人間は、この便利ではあるが同時に非常に不便で、そして限りなく危険なこのシステムを当たり前のように使っている。そこまでのリスクを負い、依存する必要があるのだろうか、冬輔は考える。まぁ、自分も依存しているわけだが。と自嘲気味に笑う。

「なに笑ってんの?気持ち悪い」

マスクの中の笑った翠の顔が見える。

「なんでもない」

冬輔はマスクをつけた顔を上げた。

空からは、淡いコバルトブルーの雪が降り注いでいた。

END

あとがき

いかがだったでしょうか。

この小説は二〇〇七年の冬、友人がサークル当選した際に、ゲストとして書かせてもらった人生初の小説です。

ゲストとして書かせてもらった友人のサークルは、バトルもの小説のサークルなののですが、書き終えて読み直してみると、この小説、バトル分ゼロでした。(笑)

Webで公開するにあたり、ある程度過失修正しました。今、読み返してみると、ところどころ辻褄が合わなかったり、主人公の言動が一貫していなかったりと、結構直すポイントが多くて若干凹みましたorz

作品の話というかキャラの話を少し。

まず、我らが主人公、宇津井 冬輔(うつい とうすけ)。彼のモデルとなったのは……特にいません。強いて言うなら、刑事ドラマとかで突っ走る新米刑事役。(そのまま)熱血だけど、仕事じゃ先走り過ぎて足引っ張りそうな……。刑事じゃなくて巡査とか方が似合ってる感じがします。

そして、作者お気に入りのヒロイン、穂之川 翠(ほのかわ すい)ですが、今読むとかなり名前が厨二臭い!(笑)このキャラは、作者の幼馴染願望を一点に集めた妄想の塊のようなキャラで、捻りもへったくれもないベタな言動が多いです。さすがにやり過ぎたか……。

世界観ですが、作者の何かしらインスパイアとか、何かしらオマージュが若干感じられます……。ムズいな、設定って。

でも、この設定自体は結構気に入っているので、また何かに使えたら……なんて思ってます。冬輔ももう少し刑事として働きたそうですし。(笑)


(c)2010 Karayashiki, Gips!, Ningyoutei, F@petit All Rights Reserved.