君の名は野に咲く花

――迎えに来たよ。

私には、妖怪が見える。
私の実家は退魔師の家系で、言うなれば妖怪退治の専門家だ。
かく言う私にもその血が流れているらしく、齢13を過ぎたら私も退魔師になる修行をしなくてはならないらしい。
私は、幼い頃から幽霊や妖怪といったものの類が見えていたので、その事で苛めにも会っていた。
そして、同時に私は、妖怪が見える事で幾度となく危ない目に逢って来た。
それは今も例外ではなく、先ほども、私は妖怪に出会ってしまった。

その妖怪に出会ったのは、学校帰りの事だった。
中学校に入学して暫く経ち、見知らぬ道が馴染みの通学路と化してきた頃。
今日は13の誕生日。誕生会に出来たばかりの友達を遊びに誘うか考えていた時、声をかけられた。
「――迎えに来たよ」
不意にかけられた声に驚き周囲を見渡すも、声の主は無く、気のせいだと思い帰路を急ごうとすると、
「――迎えに来たよ、乙音」
また声が聞こえた。御叮嚀に今度は名指しだったから、間違いなく私に用があっての事だろう。
再び振り向いて周囲を見渡すも、やはり声の主は居ない。
そこで、私は一つの結果に行き着いた。
――妖怪。
いつもなら早足で帰宅する所であるが、私も明日から退魔師に一員となる。
ここで逃げては先が思いやられると、今度は集中して辺りを観察する。
と、見えた。
電信柱と外壁の間。ほんの小さな隙間の中に、目が映っていた。
日陰よりも濃い影の中に、目が浮かぶという光景に、私は言葉も無く立ち竦んでしまった。
しかし、影はそんな私にお構いなしに、影で出来た腕を伸ばしてきたのだ。
それが、限界だった。
私は家に向かって一目散に逃げ出した。
家に帰り、荒い息を整える。
退魔師である母や、遊びに来ている伯父には話たくはない。
明日から退魔師なのに、妖怪を見て逃げ出したとなれば笑われる。
それに、伯父に弱い所を見せたくはない。
明日から退魔師としての修行が始まるのだ。そうなれば自分で何とか出来るに違いない。
決して誰にも言うまいと心に誓った。
夜になり、既に寝る時間はとうに過ぎてしまっていたが、私は寝る事が出来なかった。
布団には入っているものの、睡魔は訪れず、ただただ時間ばかりが過ぎて行く。
脳裏には、昼間出会った妖怪が浮かぶ。
ここは仮にも退魔師の家。そう易々と妖怪は入って来れないはずあが、もし相手が空間を移動する類の能力があったらどうしよう。
いくら結界が貼っていても、その結界を飛び超えて来る妖怪には果たして効くのだろうか。
昼間の妖怪、狭い隙間に居たという事は、何か意味がある筈。
隙間を移動出来るのか、隙間にしか居れないにか。
それにあの妖怪、私の名前を知っていた。だとすると、何か目的があって私を追っているんだ。
だとすると、今この時も私を探して――
駄目だ。考えれば考える程思考が悪い方向に進んで行く。
ここは、大人しく寝た方が得策か。
ため息を吐き、瞼を閉じる。その時、
「迎えに来たよ」
頭上で、あの声が響いた。
意識が覚醒する。瞼を開けると、枕元、頭上の障子に隙間から、濁った目が私を見降ろしている!!
「きゃぁあああ――!!」
布団からはね起き、障子から距離を取ろうとするも、影から素早く手が伸び、私の腕を掴んだ。
「迎えに来たよ、乙音」
影が、迫る。
「さあ、行こう。誰も意地悪をしない場所へ。そこで、一緒に暮らそう」
影は私の腕を掴み、強引に連れ去ろうとする。
開いた障子の隙間から見える向こう側はいつもの廊下ではなく、そこには暗い影が広がっていた。
「嫌っ!離してッ!!」
必至に振りほどこうとするも力が強くて引きはがせない。
影は容赦無く私を引きずる。
駄目だ。部屋から出てしまう。そしたら、もう二度とここに帰って来れないっ。
「嫌ぁああ――!!」
遂に、掴まれた腕が障子の隙間から出ようとしたその時、
「――炎舞・焔舞い」
「ひぃいいい!!」
私を掴んでいた腕に、赤い炎が踊っていた。
急に手を放されたものだから、私は後ろに倒れそうになる。
そも、そんな私を後ろから抱き止めてくれる人が。
「おじさまっ!」
私を救ってくれたのは、伯父であった。
伯父といってもその姿は若く、兄と言ってしまっても問題は無い程だ。
「去れ、隙間の姫。この子は、もう、独りじゃない。」
「おおぉ……何故、何故だい乙音?言ったじゃないか。向こう側に連れて行ってくれと。私と友達になってくれると」
影が哭く。しくしくと。
そこで、ようやく、私は影が何者であるか思い出した。
「…………あなただったのね」

子供の頃、妖怪が見える事で町の皆にいじめられた事があった。
私はいつも、花畑の真ん中にある大きな木の下で泣いていた。
そんな私を慰めてくれたのが、彼女だった。
「何を泣いているんだい、人間の娘」
「ーーひっ」
「おや、私が見えるのかい。ははん。あれだね?妖怪が見えるからいじめられたのかい」
「…………あなた、だれ?」
「そんな事はどうでもいいさ。しかし、同族間で争うなんざ、人間とは良く解らない生き物だね。こんな可愛い娘をいじめるなんざ、そいつ気がしれないよ」
「わたしが……かわいい?」
「ああそうさ、可愛いも可愛い。とびっきりに可愛いさ。何かい?褒められるのは初めてかい?」
「…………うん。みんな、わたしのこと……きもちわるいっていうから」
「かーっ!人間ってのは本っ当、馬鹿だね。こんな可愛い娘捕まえて気持ち悪いってんだから!!こうなりゃ、アンタを苛める奴ァ、私がとっちめてやる」
「…………ねぇ」
「ん?どうしたい?」
「なんでそこまでしてくれるの?」
「そんなん、私がアンタを気に入ったからさ。さ、誰がアンタを苛めてるのか言ってみな。私が脅かしゃぁ、悪ガキも二度と悪さしようなんて考えないさ」
「いいよ……べつに。どうせまたいじめられるもん。それに、しらないひとにそこまでしてもらったらわるいもん」
「ハン。なら、友達になっちまえばいいのさ」
「ともだち……?」
「ああ。……って、アンタまさか……ともだち、いないのかい?」
「…………うん」
「そうかい。なら、私が初めての友達って事だ!」
「うん。……はじめてのおともだち。えへへ……」
「私も、アンタみたいのが友達になってくれて嬉しいよ。他の奴らといったら腹黒いのや頭が春みいな奴に、酒浸りやら馬鹿な奴等ばっかりさね」
「いいなぁ。たのしそう」
「まぁ、何だかんだ言って楽しいちゃ楽しいのかねぇ」
「ねぇ、わたしもそっちにいきたい」
「馬鹿な事言うんじゃないよ。人間がこっちの世界に来るだって!?アンタを苛める奴は私がとっちめてやるからさ。二度とそういう事言うんじゃないよ」
「わたしたち、ともだちでしょう!?おねがい!」
「だーかーらー、駄目なもんは駄目だって、」
「おねがい!みんなわたしのことがきもちわるいっていうし、はじめてのともだちといっしょにいたいの!」
「親御さんが悲しむだろう。アンタにだって悲しんでくれる人が居る筈だよ」
「わたし、13さいになったらたいましにならなきゃいけないんだって。たいましって、ようかいをやっつけるひとでしょ?わたし、いや!あなたやあなたのともだちをやっつけるなんて」
「ああもう、わかったよ!13歳。13歳だ。そん時には私が迎えに行ってあげるから、その時まで我慢しな」
「いますぐじゃないの?」
「ああ。アンタが今より大人になって、それでこの世が嫌になったら私が連れて行ってやるさ」
「やくそくだよ」
「ああ。約束だ」
「あ……、」
「どうしたい?今度は何だい?」
「おなまえ……あなたのおなまえ」
「ああ。そういや、友達なのに知らないってのも阿保な話だね。アンタ、名前は?」
「おとね。かづき、おとね」
「乙女の乙に音色の音、か。良い名前だね、乙音」
「えへへ……あなたは?」
「私かい?私の名は――」

「ずっと……約束、覚えていてくれたんだね」
その次の日、私は違う町へ引っ越さなくてなならなくなり、それ以来彼女とは会えなくなってしまった。
花畑の真ん中、木の洞から覗く優しい瞳を私は覚えている。
目の前の影。そこに映る目は瞳が濁っていても、紛れもなく彼女のものだ。
「ありがとう。約束、まもってくれたね。でも、私はもう大丈夫だよ」
私が影に告げると、影に映る瞳から濁りが消えた。
「もう、独りで平気かい?苛めわれていないかい?」
「うん。それに、私は一人じゃないよ。一杯、友達の出来たし、苛められていないよ」
「そうかい、なら、安心だ」
そう呟くと、影は眼を閉じ、薄れて行った。
その、去りゆく初めての友達が消え去る前に、私は叫ぶ。
「ありがとう!ありがとう、菜々!!」
「もう、泣かないんだね。可愛い可愛い、乙音」
目の前が、滲んで良く見えないのだけれど、それでも別れ際の彼女の貌ははっきりと見えた。
ずっと、私を心配してくれていたんだね。ありがとう、菜々。
どこまでも咲き誇る菜の花畑の丘。その中心にある巨木の洞に、私の友達が居る。
この世とあの世の狭間に住む、私の一番の友達。
大丈夫。私は、もう泣かないよ。

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